環濠の歴史

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文久改正堺大絵図(堺市立中央図書館所蔵)

 

『環濠』とは、町の周囲にめぐらせた堀のことで、もともとは武将の大内義弘が室町幕府との戦に備えて築いたと言われています。

 

中世の堺は国際貿易都市として繁栄し、「会合衆」と呼ばれる豪商たちが、戦乱から町を守るために「環濠都市」を形成し、「自治都市」として都市運営を行います。 そして、新しい技術・文化を発信し、室町時代後半から江戸時代初期にかけて黄金の日々を謳歌します。

 

大坂夏の陣では豊臣方に火を放たれ焼け野原となりますが、家康の命ですぐに復興されます。新たな堀が掘られ、大道筋と大小路筋を基軸に碁盤目状の街路が整備されます。これが元和の町割りです。

 

内川、土居川、土居川公園に囲われた南北3km、東西1kmに及ぶ地区を堺環濠エリアと呼んでいます。 元和の町割りで形成された町の骨格に加え、防衛のために周囲に配置された寺院、包丁・線香などの伝統産業や職住一体の生活様式のほか、江戸時代から戦前の建築物や町並みの一部が残されており、400年以上前から続く歴史を感じることができます。